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コラム「一滴」 2011年1月

11月に開かれた関甲信地協の歯科衛生士の集会で、民医連に就職するまでの経緯や山梨勤医協に歯科を作ってきた経験を話す機会があった。これからはあまり歴史を語る機会も少なくなるかもしれないし、よい機会なので引き受けてみた。30年以上前のことになるが、なるべく50年史に書かれていない自分の想いを中心に話してみることにした。

いろいろ調べなおしてみるといままで気がつかなかったこともたくさん見つかったし、悔やまれることもたくさんあった。

当時は本当に若く未熟であるけれど、頑張ればかならず道は拓かれると確信していた。他県の仲間と交流することが本当に楽しかったし、1年後・2年後にどうなっているか考えることが習慣になっていた。よちよち歩きのこどものように前にしか歩けなかったようだ。幼稚といわれようと未来に希望があると自分にいいきかせていたことがモチベーションになって今まで働き続けてこられたのではないだろうか。

いよいよ今年は4次長計を作る年だ。1983年の勤医協倒産当時と比べると、はるかに先の読めない情勢だし、複雑多岐となってきている山梨民医連の事業ではある。5年間の事業を見通すということはほんとうに困難なことではあるが、全職員の英知を結集して長計を完成しよう。(林)




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