震災復興支援 切れ目ない支援67人が被災地へ
―5月以降もあらたな方針のもと支援を継続―
東日本大震災から2ヶ月。被災者の苦難は今なお続いています。山梨民医連は4月末までに12次にわたる支援団と歯科支援団を被災地に派遣(第5次支援団までは4月号既報)。これまでに坂総合病院、松島海岸診療所で67人が支援活動に従事しました。5月以降も全日本民医連のあらたな方針のもと、支援を継続します。
松島の被災状況と支援内容
松島海岸診療所は1階が津波に襲われ医療機器が使えなくなりましたが、現在は限定的ながら診療を再開しています。東松島にある「なるせの郷デイサービス」では、職員、利用者15人が津波の犠牲になりました。4月の一ヶ月間、山梨民医連からは第6~12次・歯科支援団を派遣。医学生を含む30人が、坂総合病院の医師支援、松島海岸診療所での組合員さんや地域住民訪問を行いました。松島町、東松島市には約4千世帯の生協組合員さんがいますが、4月22日現在、現地の職員と支援者で1332件を訪問(安否確認、医療支援、要求把握)。また、亡くなった職員の遺族、組合員さん、独居の高齢者に寄り添い、ヘドロや瓦礫の除去、引越しのお手伝いにも奮闘しました。
歯科センター4人が被災地へ
全日本民医連の要請に応え、共立歯科センターから山田夏実歯科医師を先頭に4人が「歯科支援団」として石巻市に入りました。市役所と相談し、9カ所の避難所で歯科診察、義歯調整と洗浄、歯みがきなどを行い喜ばれました。石巻市ではまだ断水が続き、歯みがきができない状況が続いています。
5月から新たな支援体制
5月より全日本民医連の支援体制が変更になり、山梨民医連が所属する北関東甲信越地協には次のとおり提起されました。①松島支援は4月末で終了し5月以降は坂総合病院へ。②北関東甲信越地協として医師1、看護2、その他1の4人を切れ目無く派遣。支援内容は、避難所への医療チーム派遣。医師は内科外来及びER支援もありうる。③それ以外に、毎週末(金・土曜)に、石巻や県南など民医連事業所がない地域で被害が甚大なところで「青空相談会」などに取り組む。そのため、各地協に「週末支援団」(職種問わず3~4人)を要請する。この提起を受け、地協内各県連の事務局長が集まり、各県が1週間交代でチームを派遣することを決めました。山梨は当面5月22日~28日、7月3日~9日。「週末支援団」を5月27日~28日、7月8日~9日にそれぞれ派遣します。(支援日の前後が移動日)
救援募金一千万円超える
山梨民医連に寄せられた救援募金は4月26日に一千万円を超えました。「山梨民医連新聞」4月号を読んだというある職員OBの方からは「被災地にいち早く駆けつけ支援にあたった記事、『自分も死ぬかもしれない』と覚悟したという実践に涙し、勇気をもらいました」との添え書きとともに募金が寄せられました。また別のOBの元には、高校時代の同窓生から次のメッセージとともに5万円が届けられました。「母親の法事の出席者からいただいたご仏前です。これは被災者に送ることがお袋の意思にも叶うと考えました。信頼できるところに預けたいので、君のいた病院から先方に届けてほしい」。甲府共立病院の小西医師を中心に活動しているゴルフサークルでは4月の恒例コンペを前に「震災があり今回は中止にしようか」との声もありましたが「予定通り開催し、被災地のために義援金を募ろう」と開催。参加者18人から募金を集めました。
悲しみの作業・・・息子さんの笑顔に癒されて
デイサービス「なるせの郷」で亡くなられた職員のお宅の引越し作業を手伝いました。泥につかった実家を片付け、住んでいた家から嫁入り道具等を運ぶ作業でした。両家の距離は車で5分ほどです。朝から冷たい雨が降りしきり、切なく、悲しみを含んだ作業です。指揮を執ってくれたのは10代の息子さんでした。終始優しい柔和な笑みを絶やさず応対してくれました。その笑顔に癒され、よし頑張ろうという気持ちになります。とはいえ泥水に浸かった家財道具は重く、また庭を埋めつくした泥のかき出しは重労働でした。結局、引越しそのものは終える事はできませんでした。しかし実家はきれいに片付き、息子さんの感謝の笑顔には心休まり、私たちも気持ちよく仕事ができたという充実感がありました。(第10次支援団)
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